「前世の記憶がある」と話す人たち。
前回の記事では、実際に前世の記憶を語ったとされる子どもたちや、世界で報告されている不思議な事例を見てきました。
でも、ここまで読んでくると、やっぱり気になることがあります。
「で、科学的にはどうなの?」
前世が本当にあるのか、それとも記憶の勘違いや偶然なのか。
実は「前世の記憶らしきものを語る子どもたち」については、研究者たちが長年にわたって事例を集め、調査を続けてきました。
とはいえ、それだけで「前世は科学的に証明された!」とは言えません。
では研究では、いったい何が分かっていて、何がまだ分かっていないのでしょうか。
今回は少しだけ科学の側から、「前世の記憶」という不思議な現象をのぞいてみたいと思います。
※この記事は、前世や生まれ変わりの存在を肯定・否定することを目的としたものではありません。
研究機関や研究者によって報告されている事例や研究内容、心理学などから考えられる別の可能性をもとに、「前世の記憶と呼ばれる現象が、どのように研究されてきたのか」を紹介しています。
現在の科学で前世の存在そのものが証明されているわけではなく、研究結果の解釈についてもさまざまな見方があります。
「こんな不思議な研究もあるんやな」くらいの気持ちで、ひとつの読み物として楽しんでもらえたらと思います。
前世の記憶は科学で説明できるの?

前世の記憶を持っているという人の話を聞くと、やっぱり気になるのが、
「それ、科学ではどう説明するん?」
というところ。
「前世はあります!」
と言われても、
「いや、ちょっと待って。証拠は?」
となるし、
反対に、
「そんなものは全部、勘違いです!」
と言われても、
「いやいや、世界中の不思議な事例を全部それで片づけてええん?」
とも思います。
こうなると、信じる派と信じない派の間で、私はひとり取り残されます。
誰かちゃんと調べて。
……と思ったら、ちゃんと調べている人たちがいました。
しかも、「ちょっと気になるから調べてみました」くらいの話ではありません。
前世の記憶らしきものを語る子どもたちについて、長年にわたって事例を集め、本人や家族への聞き取りを行い、実際の人物や出来事と照らし合わせる研究が続けられてきました。
ただし、ここで大事なのは、
「不思議な事例が研究されている」=「前世が科学的に証明された」
ではないということ。
科学はそこまで簡単に、
「はい、前世ありました!」
とは言ってくれません。
そりゃそうですよね。
そんな簡単に決まったら、世界中の教科書を書き直さなあかん。
では研究者たちは、前世の記憶らしきものをいったいどうやって調べてきたのでしょうか。
ここからは、実際にこの不思議なテーマを研究してきた人たちを見ていきます。
「前世の記憶」を研究してきた研究者たち

「前世の記憶を研究する人」と聞くと、どんな人を想像しますか?
私は最初、
水晶玉でも置いてありそうな部屋で、何やら怪しい研究をしている人。
……くらいのイメージでした。
ごめんなさい。
実際には、アメリカのバージニア大学で、何十年にもわたって「前世の記憶らしきものを語る子どもたち」の研究が続けられてきました。
しかも研究対象になった事例は、世界各地から集められています。
「前世があると証明してやろう!」
というより、
「この子たちは、なぜこんなことを知っているんだろう?」
そこを調べていく研究です。
その研究を長年続けた代表的な人物が、精神科医のイアン・スティーヴンソン博士でした。
イアン・スティーヴンソン博士が集めた事例
イアン・スティーヴンソン博士は、バージニア大学で精神医学を専門としていた研究者です。
彼が長年調べていたのが、幼いころから自発的に、
- 「前は○○に住んでいた」
- 「こんな家族がいた」
- 「こうやって死んだ」
などと話す子どもたちでした。
ここで私が「へぇ!」と思ったのが、その調べ方です。
「あなたの前世が見えます……」
ではありません。
催眠術で眠らせて、前世を聞き出したわけでもありません。
スティーヴンソン博士たちが重視したのは、子どもが自分から話し始めた内容でした。
そして、本人や家族などから話を聞き、子どもの発言を記録し、その内容に当てはまりそうな亡くなった人物が実際にいたのかを調べていきます。
場合によっては、医療記録や死亡時の資料なども確認しながら、子どもの話と事実を照らし合わせていきました。
つまり、
「この子、前世を覚えとる!すごい!」
で終わりではありません。
- 「その話はどこから知った?」
- 「本当にそんな人物がおった?」
- 「あとから家族が教えた可能性は?」
と、ひとつずつ確認していくわけです。
……前世の研究なのに、やっていることは意外と地道。
もっとこう、
目を閉じたら前世がドーン!
みたいな研究かと思ってました。
実際には、聞き取り、記録、確認、照合。
めちゃくちゃ現実的です。
こうした研究は何十年にもわたって続けられ、バージニア大学の研究部門には、現在までに「前世の記憶」を語る子どもに関する2,500件以上の事例が集められています。
ジム・タッカー博士へ引き継がれた研究
そして、この研究はスティーヴンソン博士一人で終わりませんでした。
その後、研究を引き継いだ代表的な研究者の一人が、同じバージニア大学の精神科医ジム・タッカー博士です。
タッカー博士は、とくにアメリカで見つかった子どもたちの事例を中心に研究を続けてきました。
つまり、
「スティーヴンソン博士が変わった研究をしていて、そこで終了」
ではなかったんですね。
研究方法や蓄積された事例は、その後の研究者たちへ引き継がれ、集められた情報を比較したり、共通する特徴を調べたりする研究も行われてきました。
ここで勘違いしたくないのは、この研究が、
「前世は絶対にある!」
と信じるためだけのものではないということ。
研究の対象になっているのは、
「普通の方法では説明しにくい記憶を語る子どもがいる。では、なぜこんな現象が起きるのか?」
という部分です。
前世なのか。
偶然なのか。
どこかで聞いた情報を覚えていたのか。
それとも、まだ別の説明があるのか。
最初から答えを「前世」に決めてしまったら、研究というより答え合わせになってしまいます。
先に答え書いてあるテストみたいなもんです。
それではおもしろくありません。
じゃあ研究者たちは、子どもたちの何を調べて、どうやって「これはちょっと不思議やぞ」と判断してきたのでしょうか。
次は、その中身をもう少し詳しく見てみます。
科学は「前世の記憶」をどうやって確かめるの?

「前世の記憶があります」
そう言う子どもが現れたとして、科学者はどうするのでしょうか。
すぐに、
「おお!生まれ変わり発見!」
……とは、もちろんいきません。
むしろ逆です。
まず考えるのは、
「その話、普通にどこかで知ったんじゃないの?」
という可能性。
なんだか夢がありません。
でも、それを疑わずに全部「前世」にしていたら、研究になりません。
大事なのは「何を話したか」だけじゃない
たとえば、ある子どもが知らないはずの人物について10個のことを話し、そのうち8個が一致したとします。
これだけ聞くと、
「8個も当たったん!?それ前世ちゃうの?」
と思いますよね。
でも研究する側からすると、ここからがスタートです。
その10個の発言は、相手の人物が見つかる前に記録されていたのか。
それとも人物が見つかったあとで、
「そういえば、この子そんなこと言っとった!」
と家族が思い出したものなのか。
この違いはかなり大きい。
人の記憶って、思っているほど正確ではありません。
あとから分かった事実に合わせて、過去の記憶の受け取り方が変わってしまうこともあります。
だからこそ、
「いつ、何を話したのか」
を残しておくことが重要になります。
前世の記憶を調べる前に、まず今世の記録が大事。
……なんかややこしくなってきました。
その情報、本当に知る方法はなかった?
もうひとつ重要なのが、情報の出どころです。
本人や家族が、
「そんな人、まったく知りません」
と言っていたとしても、それだけでは終われません。
- 家族同士につながりはなかったか。
- 以前、その土地へ行ったことはなかったか。
- 誰かから話を聞く機会はなかったか。
- 新聞やテレビなどで知る可能性はなかったか。
つまり、
「前世から持ってきた記憶」と考える前に、「今世で仕入れてない?」を調べる。
ここを潰していかないと、不思議な現象なのかどうかさえ分からないんですね。
科学者、なかなか疑い深い。
私なら途中で、
「もうこの子、前世覚えとるってことでええやん」
と言ってしまいそうです。
たぶん研究者には向いてません。
「当たった!」だけではダメ
そして、もうひとつ気をつけなければならないことがあります。
それが、一致した情報だけに注目してしまうこと。
たとえば、
- 「家は赤かった」
- 「犬を飼っていた」
- 「兄がいた」
- 「海の近くに住んでいた」
など、たくさんの話をしていたとします。
その中で「犬を飼っていた」だけが一致したとして、
「ほら!当たった!」
だけを取り上げてしまったら、かなり印象が変わります。
外れた話はどれくらいあったのか。
どのくらい具体的な内容だったのか。
偶然でも一致しそうな話ではなかったのか。
そこまで見なければ、「一致した」という言葉だけでは判断できません。
競馬で外した馬券を全部隠して、
「私、昨日当てたんさ!」
と当たり馬券だけ見せるようなものです。
……それなら私も名予想家になれそうです。
科学が見たいのは「前世」よりも「説明できるかどうか」
こうして見ていくと、研究者がやっていることは意外と地味です。
情報を記録する。
いつ話したのか確認する。
どこかから知った可能性を探す。
一致したものだけでなく、一致しなかったものも見る。
そして、普通に考えられる説明をひとつずつ検討していく。
それでも、
「この情報を、この子が知っていた理由がうまく説明できない」
というものが残るのかを見るわけです。
ここが、私はおもしろいと思いました。
科学が最初から探しているのは、
「前世がある証拠」ではないんですね。
まずは、
「前世なんて持ち出さなくても説明できるんじゃない?」
と考えてみる。
それでも説明できないものが残ったら、
「じゃあ、これは何なん?」
となる。
前世の研究というより、
謎をひとつずつ逃げ道から追い込んでいく感じ。
なんだか刑事ドラマみたいになってきました。
では実際に、「前世なんて考えなくても説明できる」としたら、どんな可能性があるのでしょうか。
ここからは、もう少し現実的な方向から見てみます。
前世以外の説明はできないの?

ここまで見てくると、
「やっぱり前世ってあるんちゃう?」
と思いたくなります。
でも科学の世界は、なかなかそう簡単には言わせてくれません。
前世という答えを出す前に、
「人間の記憶の仕組みで説明できるんじゃない?」
という可能性も考えます。
実は私たちの記憶って、自分が思っているほど完璧ではないようです。
忘れたり、思い違いをしたりするだけなら分かります。
ところが、
覚えているのに「どこで覚えたのか」を忘れてしまう。
そんなことまであるんです。
……記憶、もうちょっとしっかりして。
「忘れた記憶」が自分の体験に変わる?
「クリプトムネジア」という言葉があります。
日本語では「潜在記憶」などと呼ばれるもので、以前に見たり聞いたりした情報なのに、それをどこで知ったのかという記憶が失われてしまうことがあります。
たとえば、昔どこかで聞いた話。
テレビでちらっと見た人物。
小さいころに家族が話していた出来事。
本人は、それを聞いたこと自体を覚えていない。
ところが情報だけは頭のどこかに残っていて、あとになって出てくることがあります。
すると本人にとっては、
「知らないはずなのに、なぜか知っている」
という感覚になる可能性があるわけです。
もしこれが「前世の記憶」と呼ばれるものの一部に関係しているとしたら?
「そんな話、誰にも聞いてない!」
と思っていても、
本当に一度も聞いたことがないのか。
それとも、
聞いたことを忘れただけなのか。
ここを本人の記憶だけで区別するのは、なかなか難しそうです。
私なんて昨日、
「あれ?これ誰に聞いたんやった?」
って普通にあります。
前世どころか、
今世の情報源すら怪しい。
人の記憶は思ったより簡単に変わる
さらにややこしいのが、記憶はビデオのように、そのまま保存されているわけではないということです。
思い出すたびに、周囲から聞いた情報や、その後に知ったことが混ざることがあります。
そして質問の仕方によっても、答えが影響を受ける可能性があります。
たとえば子どもが、
「知らない家が見える」
と言ったとします。
そこで大人が、
「へぇ、前に住んでいた家はどんな家だったの?」
と聞いたらどうでしょう。
ちょっと待って。
もう前に住んどったことになっとるやん。
子どもは大人が期待している答えを感じ取って、それに合わせて話を広げていくことも考えられます。
さらに、
「その家にはお母さんもいた?」
「兄弟はいた?」
「そこで死んだの?」
と何度も質問されれば、最初は曖昧だった話が、だんだん具体的になっていく可能性もあります。
本人はウソをついているつもりなんてありません。
周囲の大人だって、記憶を作ろうとして質問しているわけではありません。
それでも、知らないうちに話が変わってしまうことがある。
これが記憶の難しいところです。
ということは、
「子どもが何を話したか」だけじゃなく、「大人が何を聞いたか」も大事。
前世の研究、子どもだけ見とったらあかんのですね。
横にいる大人も油断できません。
それでも説明しきれない事例が残っている

ここまで読むと、
「なんや、前世の記憶って、人間の記憶の仕組みで説明できるんや」
と思うかもしれません。
私もちょっと思いました。
潜在記憶がある。
記憶はあとから変わることがある。
大人の質問によって、子どもの話が影響を受ける可能性もある。
偶然の一致だってある。
これだけそろったら、
はい、解決。
……となりそうなんですが、そう簡単でもないようです。
こうした可能性を考えても、「では、この子はどうやってこの情報を知ったの?」と、すっきり説明できない事例が残っているからです。
もちろん、
説明できない=前世
ではありません。
ここ、大事です。
分からないものに「前世」という名前をつけたら解決するわけでもありません。
それやったら、
「冷蔵庫に入れたプリンがなくなった。でも誰が食べたか分からない」
前世の仕業です。
……とはならん。
ただ、考えられる原因を調べても、それだけでは説明しきれない事例がある。
だからこそ、この研究は長く続けられてきたのでしょう。
そして、ここで新しい疑問が出てきます。
「説明できない事例がある」ことと、「前世が存在する」ことは同じなの?
どうやら、ここには大きな違いがありそうです。
では科学は、そもそも「前世がある」と証明することができるのでしょうか。
科学は「前世」を証明できるのか

ここまで調べてくると、私はだんだん欲が出てきました。
研究もある。
説明しにくい事例もある。
何十年も調べられている。
「ほな結局、前世はあるん?ないん?」
そろそろ答えをください。
……と言いたいところですが、どうやら科学は、そんなに簡単に答えてはくれません。
そもそも科学が調べられるのは、基本的に観察したり、記録したり、比較したり、検証したりできるものです。
たとえば、
「この子どもは、実際にこんなことを話した」
「その発言は、この日時に記録されている」
「調べたところ、似た情報を持つ人物が実在した」
こうしたことなら確認できます。
でも、そこからいきなり、
「ということは、この子はその人物の生まれ変わりです」
となると、話は別です。
科学的に確認できるのは、
「普通では説明しにくい記憶を語った事例がある」
というところまで。
それと、
「人は死後に生まれ変わり、前世の記憶を次の人生へ持ってくる」
ことを証明するのは、同じではないんですね。
なるほど。
証拠品はある。でも犯人までは特定できてない。
……また刑事ドラマみたいになってきました。
しかも「前世」が本当にあるのかを科学的に証明しようとすると、さらに難しい問題があります。
前世そのものを直接観察することはできません。
「記憶がどこから来たのか」を測る機械も、今のところありません。
頭に機械をつけて、
ピピッ――前世、江戸時代です。
なんて出たら話は早いんですけどね。
そうはいかない。
だから現在の研究は、「前世の存在そのものを証明した」という段階ではなく、前世の記憶と呼ばれる現象を記録し、ほかの説明ができないかを調べている段階と考えるのがよさそうです。
私はこれを知って、逆におもしろいと思いました。
「科学で証明されていないから、前世はない」
とも言い切れない。
かといって、
「説明できない事例があるから、前世はある」
とも言い切れない。
結局、今のところ答えは――
まだ分からない。
ここまで読んできて、
「結局それかい!」
と思った人。
大丈夫です。
私も思いました。
でも、分からないからこそ、何十年も研究が続いてきたのかもしれません。
もし全部きれいに説明できていたら、そもそもこんな不思議な研究は続いていなかったはずです。
前世はあるのか。
それとも、人間の記憶にはまだ知られていない仕組みがあるのか。
今の科学では、まだその答えは出ていません。
まとめ|前世の記憶は、まだ答えの出ていない謎

前世の記憶について調べ始めたとき、私はもっと単純な話だと思っていました。
「前世はあるのか、ないのか。」
調べたら、どっちか分かるんじゃないかと。
でも、科学の側から見てみると、そんなに簡単な話ではありませんでした。
……ここまで調べて、それかい。
できれば最後に、
「前世、ありました!」
くらい言いたかった。
そのほうが記事としてもスッキリします。
でも、分からないものを無理やり「ある」「ない」のどちらかに決めてしまったら、せっかくのおもしろい謎までそこで終わってしまいます。
私はむしろ、
「なぜ、前世の記憶のようなものを語る人がいるんだろう?」
ということのほうが気になってきました。
本当に前の人生の記憶なのか。
人間の記憶に、まだよく分かっていない部分があるのか。
それとも、まったく別の理由があるのか。
答えはまだ出ていません。
でも、
分からないから、おもしろい。
科学で全部説明できないからといって、すぐに不思議な力のせいにする必要もないし、反対に、科学で証明されていないからといって「そんなものは全部ウソ」と片づける必要もないと思います。
前世が本当にあるのかは、私にも分かりません。
ただ、世界には「どうしてそんなことを知っているの?」と思ってしまうような記憶を語る人がいて、それを真面目に調べ続けてきた研究者たちもいる。
それだけでも、十分おもしろいと思いませんか?
私はこういう、
「調べれば調べるほど、余計に分からんようになる話」
……大好きです。
さて。
科学でもまだ答えが出ていないとなると――
前世の記憶って、いったいどこから来るんでしょうね。
